39歳の備忘録的日記

39歳の男の思ったこと感じたこと

飲食業のキツさ①

おれはこれまでいくつかの会社を渡っている。主に飲食業とマッサージ業だ。結論から言えば、この二つの業界はかなりブラックだ。もちろん一概には言えないが、概ね間違いない。社名や登場人物はぼかしながらではあるが、少しずつ当時のことを書き起こしていく。

 

1990後半、おれはRという大手のホテルに就職した。会員制リゾートホテルをメインに今なお勢いがある企業だ。

ホテルというと、きらびやかで上品なイメージを想像するが、とんでもない魔窟だった。当時はまだパワハラ、セクハラという言葉が今より浸透していなかったが、日常的に横行していた。外面はいいがバックヤードに入れば、殴る蹴るは当たり前。罵詈雑言の毎日だ。さすがに女性に手を出すものはいなかったが、叱責を超えた暴言の数々は誰彼構わず、浴びせられた。新卒は、瞬く間に退職し、おれだけが残った。退職したかったが、石の上にも三年という言葉通りやってみようというのと、クソみたいな上司より仕事ができるようになって見返してやりたいという気持ちがあったのでひたすら我慢の日々を過ごした。実際、特別に仕事ができる奴らではなかったので、すぐに能力面で追いつくことが出来た。

どのようなことが悪事が横行していたかというと、まず挨拶を返してこない。返してきても蚊の鳴くような声で目を合わせてこない。これも当たり前だ。そのくせ、挨拶をしないと烈火の如く怒り始める。気に入らないことや機嫌が悪いと当たり散らし、殴られる。期限を決められていた宿題があり、期限前に見せろと言われ、まだやってませんと言ったら「なぜやってない!?」とフルパワーで殴られたこともあった。

セクハラにおいては、セクハラ…という言い方は少し違うが、閉鎖された空間で男女間の関係は、極めて濃いものになりやすいと痛感した。

おれが配属されたのは、箱根だったがご存知の通り、箱根は娯楽がないのだ。娯楽がないということは、つまり、やることは一つ。ということになる。これはハラスメントではなく、合意の下で成り立っていた可能性がほとんどだ。

つまり、色々とモラルハザードした職場だったのだ。

一部上場を目指すにあたって、色々とテコ入れが行われたが、腐った社内体質は簡単に変わるはずがなく、おれが退社するまで続いた。

暴力を振るう上司にSという男がいた。体格がよく、こいつに殴られるのは、かなりこたえた。なまじ、仕事が出来るので人を見下し、妙に威張り腐っていた。機嫌のいい時は普通に会話が出来るのだが、そいつの言葉で印象に残っているものがある。

「今お前がこの会社を辞めてみろ。お前はロクな企業に勤めることが出来ずに、作業着を着て、社長をオヤジと呼ぶような街の小さな工務店ぐらいにしか転職できないぜ?がはは」

色々な面でヤバい言葉である。

おれは間も無く退社し、今は外資企業で人並み以上の給料を貰っている。Sは今、どこで何しているか知らない。facebookで友達ではないですか?の表示が出てくる時があるが、友達ではないので、放置している。きっとおれは、Sよりずっと幸せだ。