お引越し
何回か書いてるが、このブログは今まで誰にも言ってこなかったし、これからもいうつもりはない。
かといって隠しているわけでもない。ただの備忘録であり、自身の精神的なオナニーだからだ。
文字を書いてアップするだけ。振り返ってほくそ笑むこともそうそうない。
去年の10月ごろ、知人から見たよ!的なLINEが来た。別に隠すつもりもないし、否定もしなかったが
なんとなく嬉しかった。おそらくおれのバックボーンや検索してくれた知人の興味や背景が同じだったのだろう。
これからも色々と書きたいなと思うけど、少し前からnoteの方に引っ越しました。そっちの方がなんとなく書きやすく、色々な方のブログも多数あるから。同じ小便小僧がアイコンで、重複してる記事もあります。よろしければどうぞ。
聘珍樓破産 聘珍樓は2度死ぬ
先日、個人的に大きなニュースが。
https://news.yahoo.co.jp/articles/57d30e94c35d3c86aa1e4e880243ad0ad4925ec6
聘珍樓本店が無くなった時もかなりの衝撃を受けたが、またしてもだ。
本店が無くなった時は建物自体が無くなると思っていたが、以前の記事にも書いたが健在していてかつ、居抜きだったのでレイアウトや照明など細かいところまでそのままだったのである意味、安心はした。聘珍樓自体で働いていたかつての仲間たちは、違う店舗に移動になり、それなりにやっていたようだった。
21日の昼間に急にそのかつての仲間からLINEが来て、明日、22日に聘珍樓が倒産すると、つまりプレス発表前にこっそり教えてくれたのだった。全店舗閉鎖、デパ地下での店舗やSARIOといったファストフード店舗までクローズするとのことだった。この世の中から聘珍樓が消滅するのだ。まさに青天の霹靂。
まず、本店が無くなる際に聘珍樓が何某物産という会社が運営していることすら従業員は知らなかった。よくわからないまま、本店が無くなり、その時点で従業員はかなりの不信感を抱いたそうだ。これまたよくわからない説明があった後、他店舗への移動が発表された。本店は無くなるけど、君たちは何も心配はいらないといったところだったらしい。
聘珍樓の歴史は古く、日本最古の中華料理店を謳っていた。ニュースでもあったが高級ではあったが、地元の人達に愛され、客人をもてなす際やハレの日、記念日、顔合わせなど用途は多岐にわたった。そういった特別な日に利用することが多いということはそれだけ思い出にも残るということ。私自身、亡き祖父の祝いや子どものお食い初めにも利用した。素晴らしき人が集う館という意味の屋号で、まさに従業員も客もその名の通りだったと思う。料理、サービスにおいても、安定していて、聘珍樓なら一般的なアベレージは担保できる安心感があった。
ニュースなどの専門的なコメンテーターからはコロナ禍での情勢が大きく影響し、倒産に繋がったという見方が強い。それもあると思う。聘珍樓が最盛期の時と時流が全く異なり、食べ放題や食べ歩きがメインの街になってしまった。修学旅行や企業のパーティなども大幅に減ってしまい、大きな利益を落とした。もっともだろう。
ただ、内面からも徐々に崩れていったのも要因の一つだと私は思う。第一に社長の代が代わり、息子にスイッチしたところから徐々におかしくなっていった。先代が良かったというわけではないが、営業手腕はやはり熟年の腕があったからこそ。何店舗の舵を取るのは一朝一夕の経験では出来ないはずだ。そして、いつかの週刊誌で取り上げられていたが、社長夫人がなかなかのキーマンだったのだ。悪い意味で。マダムと呼ばれた夫人はある界隈ではそこそこ有名な人だったらしく、プライドも高かったのだろう。畑違いの飲食業界に、役員でもないのに顔を出し、口を出し、煙たがられていた。もっとも本人は裸の王様でそんなことつゆ知らずに、SNSなどでチャイナドレスを纏い年甲斐もなく谷間を露出し、とても楽しげだった。そもそもなぜ、社長夫人が出しゃばって会社のイベントに来るのか、ずっと謎に思っていた。また一族経営の宿命か、社長も店舗や会社を私物化する傾向があった。社長が来ると、お客様そっちのけで社長の席にスタッフを集め、粗相がないようにするのだ。ある程度は許容されるべきだと思うが、やり過ぎ感が否めなかった。そして別の記事にも書いたOという人物だ。そう、彼が本店に来た時から徐々にだが確実に崩壊は始まっていたのだ。怒鳴りつけることにより従業員の士気は落ち、社内に愛人を作りモラルが崩壊し、元々ブラック気質が多い飲食業界(この店舗)を真っ暗に染め上げた張本人だと今でも思っている。ちなみにもう倒産ということなので時効だし今更なのだが、化学調味料は使っていないを謳っていたが、めちゃくちゃ多用してましたよ。とまあ、倒産には色々な要因が絡まり合ってなるべくしてなったのだ。
予約をしていた人やお金をすでに払ってしまった人もいたらしいが、そのケアは当然できないとのこと。なんともあっけない最後だったなという感想だ。
とはいえ、お世話になったし、問題のない人たちも大勢いて素晴らしい仲間にも出会えた聘珍樓には感謝しております。リゾートトラストに比べたらまだまだマシだった時もあったので。
今までありがとう聘珍樓。お疲れ様でした。
みんなの心の中にはきっと残ることでしょう。




本牧の二郎系インスパイアラーメン
リッキーGの曲でa.m8:59という曲がある。まさに歌詞の中でも時計の針は午前9時を指す前だ、とある。この曲を休日に聴くのが好きで、やはり雰囲気を出すため午前中に聴くのだ。
その曲にぴったりなのがここ新本牧公園。
大通りから本牧神社までの縦方向に広い公園で、ベンチや木々も多く、とても過ごしやすい。鳥たちの囀りとさらさらと葉が擦れる音、少しだけ聞こえる自動車の音。周りは邸宅が規則正しく並んでいるが、90年代に建てられた家も多い。ピカピカに輝いていた本牧が残されている感じで、懐かしさと新しさが混ざった本牧を醸し出している。今日のような晴れた春の日はこの上なく気持ちいい。最近のフェイバリットルーチンだ。

少し離れてマリンハイツというマンションがある。ここの一階部分は多くの飲食店が並び、港湾関係者や流通に従事する人に人気のスポットである。安い美味い多いを体現した料理が多く、多くの店は男性がほとんどだ。ここにもおれのお気に入りの店があり、開店当初から通っている。
やらかし亭というラーメン屋で、二郎系インスパイアではあるが、モヤシとニンニクはセルフサービスでやらかしちゃって下さいという独自のサービスだ。多くの人が敬遠しがちな呪文のような、〜マシマシという工程が無いため、ハードルが低く楽しめる。そしておそらく夫婦で経営されているのかな?奥様の接客もシンプルながら気持ちよくこれもまた行きやすい要因の一つだ。そしておれ的にお気に入りなのが店内のBGMだ。主にパンクロックやメロコアが流れており、世代的にドンピシャなおれはテンションが上がったまま、がっつりラーメンを食すことができる。時々流れるクレイジーケンバンドが本牧感を抜群に盛り上げてくれて、休日っていいなあと麺と肉を頬張ることができる貴重なお店。
この二つのルートが最近のお気に入りです。
さてさてもう少ししたらやらかしてきましょうかね。
三谷幸喜は死んだのか
内容はスオミという女性が行方不明になり、夫をはじめとした、複数の人物がスオミについてあれこれ話しながら、スオミの真の姿について追っていくストーリーらしい。観ていないので、らしい止まりだ。と、この記事を下書きで放っておいたからもはや、この映画のことは今現在、ほぼ語られていない。
三谷幸喜に初めて触れたのはフジテレビでおれが中学生の時に放映されていた『王様のレストラン』だった。名店がオーナーが変わってしまってから、凋落し、それを伝説のギャルソン(サービスマン)、そこに働く全てのスタッフの力を合わせ、次第にまた名店に戻っていくサクセスストーリーだ。このドラマの全てがおれは大好きで当時は録画したものを何回も何回も見た。話の内容はもちろん、音楽も素晴らしくサントラを購入し、人生の色々なシーンで聴きまくった。兎に角、登場人物もロケーションもストーリーも音楽も大好きな作品であった。
同じくらいに好きだったのは、これまた大人気だった、古畑任三郎。毎回著名なゲストが犯人役として出演し、最初から視聴者には犯人がわかっている中で、古畑任三郎が推理をし、犯人を追い詰めるという、従来の展開とは逆の斬新なスタイル。絶妙な犯人とのやり取りや、部下の今泉のおとぼけが加わり、物語に厚みをつけ、老若男女楽しめた作品に違いない。
元々は舞台出身らしいが、テレビドラマ、そして映画何本かでしかおれは三谷幸喜は知らない。ただ、王様のレストランにおいては未だに好きなドラマは?と聞かれたら真っ先にその名を挙げるほど好きだし、おれ自身の仕事の価値観を固めるほどの影響力を及ぼした偉大な作品だ。ほぼ、ベルエキップというフレンチレストラン内だけで話が完結する所謂、舞台的なドラマだったのかな?と振り返る。
さてそんな三谷幸喜作品。魅力的な作品も多いのだが、映画になると…である。あくまでおれの感覚値の話にはなってしまうが。
みんなの家、有頂天ホテル、ラジオの時間、マジックアワー。これらはDVDでも持っているし、何回も何回も観たとても面白い。特にラジオの時間においては、昨今問題にもなった、原作者とそれをドラマなどで作りかえる作家たちのいざこざをユーモアにシニカルに描いた先見性のある作品だ。深夜感を感じるのもとても良い。
上記以外にも映画作品はあり、公開されるとワクワクしながら観に行ったり、DVDとして楽しんだりしていたが、その中にギャラクシー街道という作品がある。登場人物が宇宙人というかなりチャレンジングな設定なのだが、この作品、すこぶる面白くない。宇宙人なだけあって?それぞれ一癖あったり、何かグロテスクな一面を持っていたりと、そういったキャラクターがたくさん出てくる。狙いとしてはおそらく、その変なところが笑うところなのだろうが、そこが本当に面白くない。劇中を通して人が成長するのでも無く、ただダラダラと時間が進むだけのように感じた。盛り上がりに欠け、観終わった後は映画館で観なくて本当によかったという感想が残った。
さて冒頭の最新映画もなんだか、評判がよろしくない。公開から時間が過ぎているので単純にもう話題も去ったのかとも思うが、観た人から感想を聞いたら、つまらなかったの一言で不機嫌そうな顔をして立ち去った。
少し前のバラエティ番組で、かまいたちの山内がとんねるず木梨に向かって、フジテレビのある番組スタッフにウケただけと、言っていたのを見た。もちろん台本ありきの言葉かもしれないがなかなか芯をついてるなと思った。
とんねるずの全盛期、フジテレビは時代の最先端を走っているように子どもながらに感じた。何をやってもかっこよく、都会的に見えた。そんな昭和から平成にかけて、三谷幸喜のドラマもフジテレビで放映され、やはり時代にマッチし、好評を得たのだった。
フジテレビ凋落の今、同じく三谷幸喜もまた落ちるのか。と言っても大河ドラマは好調なので、もう映画は作らない方がいいのかもしれない。餅は餅屋なのだきっと。
聘珍樓跡地 揚州飯店
以前の記事に聘珍樓跡地について触れたが、ついにこの建屋に新しい風が吹き込んだ。動きがあったのは、このための布石だったのだ。
揚州飯店だ。
揚州飯店は正直詳しくもないし、わからないことが多い。ただ、老舗を謳っているし、著しく味の期待を裏切ることもおそらくないであろうといった感じだ。以前は大通りに面した店舗を構えていたが、つい先日からこの聘珍樓跡地に新本店として、新たな門出を迎えたのだった。
この情報をキャッチし、早速行ってみた。
先ずは正面玄関。

直感的になんとなく『細長い』という印象を受けた。細長いとは何か。聘珍樓が待っていた歴史の厚さ、サービスと料理のクオリティが放っていた、高級感と重厚感。それがまだここには無かった。当然、お手入れが入っているので、汚い箇所は直さなくてはならないと思うが、表面上だけ小綺麗になっている印象だ。正面の獅子も聘珍樓の方が大きかったしね。




1人と受付に伝えると、2階に通された。2階はおれが聘珍樓で働いていた時に最初に担当していたゾーンだ。店舗内部も殆ど変わることなく、まんま居抜きと言った印象。飽きるほど見たこの光景。壁も柱もテーブルも変わらない。また見れる日が来るとは思わなかったので、1人嬉しさを噛み締める。オープン時間と共に入ったので、貸切状態だ。心地よいピアノのクラシックを聴きながら、壁を見ていると活気に溢れていた往年を思い出す。一緒に働いた人たちは元気だろうか。

五目焼きそばを注文する。ランチのセットなどが無く、単品かコースでしかない。
全体的なボリュームは上品に控えめだ。しかしながら、五目の一品一品は味がしっかりしており、野菜、肉共に鮮度も良く美味しかった。香ばしい細麺に絡む餡も濃厚で、油までしっかりと堪能出来た。満足。ご馳走様でした。
せっかくなので、違うフロアにもよってみた。


六階は和室になっており、聘珍樓当時は小さな子どもがいる家族は優先的に通されていた。年季が入っているが、それがより落ち着いた雰囲気を出している。下駄箱にくつが無かったので、平日は使われていないのかもしれない。



こちらは三階、四階の宴会場。
四名以上や一階と二階がいっぱいになると通されていたフロアだが、六階と同じく誰も利用者はいなかった。エレベーターホールに展示されているフカヒレや燕の巣はかつての聘珍樓の一階中央にあったものじゃ…
と、短い時間ではあったが新生揚州飯店に行ってみた。料理にも満足し、そしてなによりこの建物に入れたのが嬉しかった。いい意味で居抜きだったしね。
ただ一つ懸念点がある。
聘珍樓ほどの知名度も歴史もあるレストランがここで絶たれたのだ。もちろん、売り上げが落ちてしまったからだ。
平日のランチの時間帯。客はおれ1人。宴会場も稼働していない。せっかくこの地に移転した揚州飯店。どうか繁盛して新しい中華街の顔として根付いて欲しいと思った。少しでも貢献したいのでまた行こうと思う。

本牧神社
先日、すかいらーくの優待券をもらったので散歩がてらに、本牧間門近くのステーキガストに行った。
だいぶ前、ここはガストで本牧の彼女と深夜に行ったことがある。この店舗の道を挟んで隣は消防署で当時の街灯はたしかオレンジ色だった。それがなんだか本牧の土地と相まって外国のような雰囲気を醸し出していた。今回行ったのはランチの時間帯だったし、もう街灯の色も白色になっていたのだが、窓から見える景色は変わらず当時の面影を少し感じつつ肉を楽しんだ。ちなみにここのステーキガストはとても接客が丁寧で気持ちがいい。
その後は天気がよかったので本牧神社へ。
本牧和田にあるこの社は根幹は本牧十二天と云われるルーツがある。歴史があり、ここを起点として行なわれるお馬流しという「ハマの奇祭」も、毎年夏に脈々と受け継がれている。
平日の昼過ぎ。晴天の下、穏やか空気が流れる。社の裏手には山頂公園の森が広がり、野鳥のさえずりが聞こえる。社を背中にすると本牧和田の整然とされた街並みを見ることができ、遠くには工業地帯や海も見える。まさに新旧の歴史の間に建っており両方の景色を楽しめる。


神社への奉納者たちの名前だろうか。囲いには地元の有志たちの名前が朱色にしっかりと彫られている。おれも長年、本牧の地で働いてきた。見たことのある名前も散見される。
ここ本牧は他の地域に比べ地元愛が強く感じる。夏祭りなどは各々の街の提灯や神輿が揃い、街全体を盛り上げるのだ。
地元愛と信仰とお金と気持ちが色褪せることなく、結晶として残っている。
大きな社と注連縄が目を引くが、もう一つ特徴的な社がある。正面から見て、右手奥に縁結びと縁切りの神社があるのだ。


祠の横の木を時計回りにまわると、縁結び。反対に回ると縁切りの御利益があるといわれている。
以前からこの場所は知っていたが、今回訪れた時はなんだかとても気持ちがよかった。
さわさわと木々が風に揺れ、5月らしい陽気を感じさせてくれた。石の鳥居の向こうは鬱蒼としているが悪い気は感じない。この鳥居の奥は違う世界では無いのかと錯覚させる。
暫くの間、神社と初夏の空気を満喫した後、正面の大きな鳥居を抜けようとすると、懐かしの名前が…

奇しくも、まもなくあぶない刑事の映画が公開される。そして本牧のスタンプラリーも今月末まで実施してるとのこと。
懐かしい歴史のある街をなぞるのには、絶好の季節だ。
聘珍樓跡地
ゴールデンウィークも終わり、いつもの静かな平日だ。といってもここ中華街は観光地。食べ歩きの若者や修学旅行の学生でかなり賑わっている。
以前までは鬱陶しいなと感じていたが、最近はたくさん楽しんで思い出が出来るといいね。という考えに変わった。彼らなりに楽しみ方があるだろうし、楽しみたくて中華街を選んだのだ。ルールやマナーを守ってくれれば街も潤うだろう。
さて、そんな賑わいが絶えない中華街大通り。
ある場所だけ賑わいからすっぽり外された箇所がある。
ここ聘珍樓跡地だ。

人が踏み入れることが無くなった箇所は一気に風化し、雑草や以前植っていた笹が茂っている。ビルの壁面は埃によって線ができて、日焼けでしらっちゃけた色に変わっている。
中央にある、空っぽの額縁は大きく金文字で聘珍樓の看板が堂々と飾られていたが、閉店してすぐに取り外されたようだ。大通りに面していた屋号の大きなネオンはあっという間に外され、ここが聘珍樓であったことを忘れてくれと言わんばかりの速さだった。
正面に大きくとられた窓は3階と4階にあった吹き抜けの宴会場のものだ。天気が良く、青い空が反射しているが、おそらく中も陽光が入り誰もいない宴会場を明るく照らしていることだろう。

こちらは正面から見て、左側の小道側からの元聘珍樓の側面だ。
やはり雨で汚れが幾つもの黒い線になり、建物の経過を感じさせるものとなっている。一番上にある小窓は七階の特別室のもの。この小窓から、この小道の行き交う人々をよく見ていた。二階部分の細長い窓は日当たりの悪い二階に少しばかりの陽の光を入れてくれた貴重なもの。忙しかった時は時間の感覚が無くなり、体内時計が狂うため、少しの陽の光もありがたかったものだ。
特殊な形の土地に立つこの建物は同じく特殊な形をしており、導線もまた極端に狭いところがあったりと、働く側からしても不便な点も多々あった。大きな室外機は客室のものであり、我々のバックヤードは空調が無く、真夏は地獄のような暑さだった。
なぜ今更、こんなことを書いたのか。
単純に私がこういった半分廃墟のようなものだったり、無くなりそうなものが好きというのもあるが、やはり思い入れがあるからだ。これは私だけでなく、聘珍樓の消費者にも言えることであり、その証拠に大通りを歩いている人の何人かが、私のように跡地を写真や動画に収めていたのだった。
そしてもう一つ。裏手に従業員出入り口と以前使われていたゴミ捨て場。そして、ビルのメンテナンス用の出入り口がある。このメンテナンス用の出入り口から作業着を着た作業員が出てきたのだ。これが何を意味するかは全くわからない。ただの定期的なメンテナンスなのかもしれないし、あるいはどこぞのレストランが近い将来入るかもしれない。後者に於いては全く情報も無いし、予測の範疇を全く出ない。ただ、メンテナンスにしてもほんの少しでも動きが見れたのは、嬉しかった。
今日も主人無きこの建物は、中華街を見下ろしながら、新しき主人を無言で待ち続けるのだ。