39歳の備忘録的日記

39歳の男の思ったこと感じたこと

元町中華街 カフェベローチェから見る中華街

f:id:you5chang:20230302143640j:image同じ場所でこの記事を書くのは初めてのことだ。

 

その場所とは中華街朝陽門近く、カフェベローチェだ。かつて私はこの場所で約2年前にエクセルシオールカフェについて書いた。しかし、コロナの影響か、すぐにエクセルシオールカフェは閉店した。近くにドトールもあるとのことだったが、新店舗だったので、気に入っていたのだが…

暫くはやはりテナント募集の紙が貼られていたが、ほどなくしてカフェベローチェができることに。

カフェベローチェ。私の独断と偏見だが、国内チェーンの中では最弱のチェーンなのかと思う。クーポンを持っていて、知人に渡そうとしたところ、即座に行かないからいらないと断られた経緯がある。そして店舗の数だ。スターバックスや前述のドトールに比べて感覚値ではあるが、明らかに少ない。

と、ここまで半分悪口のような形になって書いてしまったが、実は嫌いでは無い。むしろ好きなのだ。もとい、この店舗、場所が好きだ。好きな理由はいつかの記事でも書いた通り、染みついた思い出がこの場所にはあるのだ。

あれから約20年が経とうとしている。20年、成人1人分なのだが、ここから見える景色は意外なほど変わっていない。向かいの駐車場とゲームセンターは名前こそ変わったが、未だ健在だ。隣のグレーの色のマンションは20年前は建設中だったが、今はずっしりと身を構えて鎮座している。

"ここから見える景色"は変わらないが、中華街は様変わりした。店舗に入店はせずに食べ歩きもしくはその場で立ち食いの店が乱立し、目まぐるしく流行り廃りの波が押し寄せまくる。味よりも映えに重きを置き、いかにインパクトがあるかで勝負をしているようだ。(これも私の偏見だが)

私がかつて働いていた聘珍樓の倒産の一因も時代の流れの波に溺れてしまったのかもしれない。

大通りはそういった食べ歩きをメインとした店が乱立し、若者で溢れ、様々で色とりどりの食べ物と一緒に写真を撮っている。

私が幼少期に見た、なんとなく薄暗くて少しこわくて少し不思議な空気が流れる中華街は何処にも見当たらない。僅かに残っているかもしれない、そんな空気を探しに私は今日もこの中華街に来てしまうのかもしれない。

 

ここから見える景色は変わらない。

窓側のカウンターは私の特等席だ。カフェベローチェはこの席を優しく用意してくれている。空いているからね。コーヒーは安いし、充電口も充実している。仕事をするもよし、スマホをいじるのもよし、コーヒーを嗜むのもよし、思い出に浸るのもよし。

私はここが好きだ。またこよう。

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コロナに罹った

ついにというべきか。

コロナに罹ってしまった。

 

 

AM6時。朝起きたらなんだか喉がいがらっぽい。冷房の風に当たり過ぎたか?なんだか、心なしか身体も痛いような…病は気から、気合を入れて1日を無理矢理スタートさせた。

 

AM8時15分。駅までの道のりは自転車だが、その日はやけに疲れた。蒸し暑さも手伝って汗がじんわり出てきた。身体の痛みは先程から増し、これは熱が出そうだなと感じた。電車に乗って、座れたので、体力を回復させようと目を瞑る。すぐに眠りに落ち、頭を窓ガラスにガンガンと何回かぶつけるぐらい深い眠りに落ちた。やがて駅に着き、出勤したものの、その時には既に立っているのも辛く、何処かに寄りかかっていたいぐらい倦怠感があった。AM9時30分、体温は37度だった。

 

AM10時30分。倦怠感が酷いので、いざということも考え、早退させて頂く。帰りの道中に抗原検査キットを買う。唾液が風邪の時、特有の嫌な味がし始めた。

 

AM11時30分。自宅に着き、重い身体を引きづりながら検査キットを使用する。結果は陰性だった。これはただの夏風邪なのか?体温は37.4度になっていた。かかりつけの病院の午後の診療時間を確認してから、横になる。

 

PM2時30分 アラームで仮眠から目覚め、病院に受診可能かどうかを確認する。発熱が伴う為、6時以降に一人で訪れてくれとのことだった。体温は37.8度に上がった。

 

PM6時 病院で受診。PCR検査を受けながら、おそらくコロナであろうと言われる。

 

そして、明日、診断結果は陽性だった。

会社でも1時間単位で消毒や拭き掃除等をし、注意を払ってきたつもりだが、罹ってしまった。

この日、体温は40度に達し、まさに死線を彷徨ったが、翌日から徐々に熱が下がり始め、3日後には平熱に落ち着いた。ただ、咳による疲れや倦怠感は残っており、ダメージは相当なものだった。

今のところ、髪の毛も抜けていないし、味覚や嗅覚にも異常はなさそうだ。

暫し、また昔の思い出を振り返りながら、横になるとしよう…

聘珍樓 閉店  さらば聘珍樓横濱本店

細々とやっている、このブログ。

完全に趣味でやっていて不定期に書いている。まさに気まぐれなブログだ。自分の気になることや考えたことをただただ垂れ流すように書いている。閲覧者は日に数十人だ。私自身、ブログを書いていることを周りの人間に言っていないので、ワード検索などをして、辿り着いた人がなんとなく見ているということだろう。今回も閉店する店舗ということで失われていくシリーズにくくろうかと考えたが、なんとなく違うなと思い、タイトルも少し変えてある。

さて、以前書いたブログで伏せ字にしていたHという店舗はずばり、聘珍樓本店のことだ。

知る人ぞ知る、横浜中華街が誇る屈指の名店、聘珍樓。その歴史は古く、日本最古と謳われる程だ。

私がここで働き始めたのは2000年代初め。当時はミレニアムフィーバーも落ち着きつつも、中華街も現在の様な食べ放題も少なく、まだ中華料理がしっかり味わえるを売りにし、一時は年間入場者数がディズニーリゾートより多かったのだ。そしてみなとみらい 線の開通というまさに追い風状態だった。

以前のブログでも記したが、当時はまだ職場環境も整っており、忙しいながらも充実した日々を過ごしていた。聘珍樓という看板を背負っているという誇りとやりがい、クオリティの高い料理とホスピタリティ。おそらく、当時の従業員は士気も高く名店を一緒に作り上げた自負がある。忙しくも充実した日々は生活に張りを与えた。七階のフロアは特別室と呼ばれ、個室に庭がついた豪勢な作りだったのだが、ゲストが帰った後、私はその庭に立ち、夜風を浴びながら眼下の、中華街特有の香りに包まれながら、まだ賑わいのある中華街を見たり、向こうのうっすらと見える山手の丘を見るのが好きだった。明日も頑張るぞ、とリフレッシュ出来た。こんなことが出来るのも従業員の特典だった。

 

これも先に記したが、ある男が介入することで環境が大きく変わってしまった。その件に於いては。前述のブログを読んで欲しい。兎に角、とんでもないブラック企業に成り下がってしまった。職場環境の悪化は勿論、まさに暴君に相応しい振る舞いでスタッフの士気は著しく低下した。帰りの時刻は夜中の3時を回ることも珍しくなく、もうその頃には七階の庭などどうでもよくなり、一分でも早く床に着きたかった。

その男は悪事が晒され、会社を追われるように辞めてしまったが、残した傷痕は大きく、さらに昨今の中華街のレストランの変化やコロナの影響もあって、クローズすることになった。

一旦クローズとあるが、おそらくあの場所に復活することはもうないであろう。暫くは空き店舗になるか、大規模な改修を経て違うテナントが入るであろう。他の移転先も現段階では何も触れられていない。つまりは未定、何も決まっていないのだ。そしてあの場所は、中華街の一等地、借地でとてつもなく家賃が高い。かつてあった新館を崩した時から、少しずつ凋落し、規模を縮小した現在のような売上ではとても家賃はペイ出来ないはずだ。かつては週末の売上などは4桁を超えるドル箱店舗であったが、やはり環境の変化から来るこの大きな波には耐えられなかった。

 

先日、聘珍樓で食事をしてきた。

苦楽を共にしたかつての仲間は温かく私を出迎えてくれた。私が聘珍樓で頑張れたのは、この仲間たちがいたからだ。私が働いていたフロアは既に物置のような状態になっていたが、そこの空気は変わっていなかった。照明、壁、小さな傷ですらそれを見れば、当時を思い出す。数々の思い出が染み付いたあの建物が無くなってしまうのは、とてもとても寂しい。

5/15に閉店してしまうらしいが、予約で埋まっているとのこと。ただ、キャンセルはつきものだ。ダメ元で電話してみるのもいいだろう。行くべき店なのだ聘珍樓は。

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さようなら聘珍樓

宮古島その2

宮古島というのは、もちろん宮古島を表してるのだが、いくつかの大きな島の総称でもある。

その島の一つ、来間島

来間島は島の約9割がサトウキビ畑で、沖縄らしい風景が広がる。島なので周りは海に囲まれ、夜は満天の星空が楽しめる。

おれはこの来間島に取り憑かれたように、ほぼ毎日通った。休日はもちろん、仕事終わりにも立ち寄ったし、ある時は夜中誰もいないビーチに水に浸かりに行ったりした。

好きな理由はわかってる。

初めて宮古島に訪れた時、来間島のある雑貨屋に立ち寄ったのだ。これから始まる、短くも濃厚であろう南国の時間の一コマ。

きらきらと輝く魅力的な南国らしい雑貨の数々。そんなわくわくするしかない状況の中、雑貨屋を出た時、ドアにあったバンブーチャイムが来間島の風で独特の音色を奏でた。

空が無限に広がり、まもなく夕暮れになりそうな時間帯。遠くにざわざわとサトウキビの葉が揺らめく音とバンブーチャイムの音色が重なる。10月ではあったが、気温はTシャツとハーフパンツで過ごしやすいぐらいだ。都会では絶対に味わえない光景と空気。羽田からわずか3時間の場所に楽園があった。

どうしようもないぐらい旅情をかけたてられ、これが宮古島なんだと、思い切り伸びをした。

 

約7年ぶりに来たこの島は、大型のリゾートホテルが出来ていたが、それ以外は大きく変わることなく、相変わらずの素敵な島だった。

これからもずっと大好きな島だ。

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宮古島

こんな時期だが、仕事で宮古島に。

宮古島が今ほど人気がなかった時によく来ていた。開発が進んでいるようだが、残すべきところは残すのが宮古島

コロナ禍で無ければ最高の楽園。

 

宮古島にお邪魔しますと、参拝に。

狛犬がシーサーになっているところが沖縄らしい。

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元町と元町プール2021

今年はオープンした元町プール。

コロナ禍には変わらないが去年は昨今の状況を鑑みてかクローズしていたのだった。今年はどうかと思っていたが、無事?にオープンしたようだった。それでも例年と違うことは、氏名や連絡先を記入して入ること、そして約二時間制を用いて入れ替えを行うこと。結果的にはそれほど不自由なく使うことが出来た。

少し前までは元町プールは露出度の高い水着着用の人や、同性愛者(特に男性)が多く、異様な光景だった。人の趣味や嗜好は否定はしないが、あまりに数が多く、普通に楽しめないような人もいたのではないか。ようやく、テコ入れがあったようで以前のような静かでリゾートのような元町プールに戻った気がする。

元町プールは勿論、元町商店街も梅雨明けの空がとても綺麗だった。2021年夏。オリンピックも始まる。色々大変な夏だが、元町はやっぱり綺麗だった。

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失われた建物 デニーズ新本牧店

小春日和という言葉に相応しい一日。

爽やかな風が吹き、キャンペーン中ののぼりを揺らす。大きく取られた開放的な窓からは陽光と隣の公園の緑が眩しい。平日の朝だと言うのに、店内はほぼ満席。店員も忙しなくバッシングをしたり、オーダーを取ったりと動き回る。客は主婦が多いが、私のような男性の一人客も散見される。

 

ここはデニーズ新本牧店。

今日で33年間の幕を閉じるそうだ。このニュースを地方のウェブサイトで知り、たまたま休みだったので急いで訪れたのだ。

 

本牧という土地は元々好きだが、本牧在住の彼女がいたことがあり、ますます好きになった経緯がある。当時は若かったので、夜通し遊んで24時間営業だったこのデニーズに明け方、モーニングを取りに来たことがあった。

ある夏の夜、本牧山頂公園でたっぷり話し込んで汗でベタつく重たい身体を引きずり、ソファにどかっと掛ける。店内はクーラーが効いており、素晴らしく涼しい。静かなクラシックがBGMで心地よい。私と彼女はデートが楽しかったのか、ニヤニヤと締まりのない顔で、一日を振り返りながらモーニングを堪能した。二十代前半の万能感と生まれたての朝日、目の前にいる大好きだった彼女と新たな休日の始まりは、世の中の不安や心配を全てその時だけは、かき消してくれたのだ。

思い出は少ないが、とてもとても楽しかったと記憶している。あれから10年以上経った。風の噂ではその彼女も母になったそうだ。

 

 

ロードサイド店らしく、昼前にはサラリーマンや現場仕事の人達もランチに訪れてきた。

さて、そろそろ退店しよう。

しっかりとここからの風景と雰囲気を焼き付けて。ほんの少しの思い出のお店。ありがとうございました。

33年間お疲れ様でした。

 

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