39歳の備忘録的日記

39歳の男の思ったこと感じたこと

プロを感じた

ちょっとした顔見知りや殆ど話したことがない人。もしも街ですれ違ったり、電車で同じ車両に居てもなかなか声をかけづらかったり、あるいは知らないふりをして過ごしてしまうのが殆どではないだろうか。大人になると、面倒臭い、気まずい等が優先してしまいついつい、無視をしてしまいがちだ。

 

先日のこと。

みなとみらいのとあるレストランに行った時のことだ。家族で食べたいものに迷い、なんとなくディスプレイに惹かれて入った店舗。とは言ってもそのディスプレイには見覚えがあった。かつて、15年前程に本当に少しだけ在籍していた会社が運営するチェーンのレストランだったからだ。

見覚えがあるディスプレイではあったが、実際は食べたことがなく、提供時にちょっと美味そうだなあ…なんて考えていたものだ。食材の仕入れ先も知っていたし、レシピも大体わかっていたので大まかな味は想像出来ていた。ただ、正直に言ってお金を出してこのチェーン店を使うか?と言ったら前述の通り、味が想像出来るので敬遠をしていたのだ。

ただ、客からの評判はそこそこ良く、特に若者には人気があった。人気の理由は味もそこそこ。そして何よりロケーションがいいことに起因する。横浜を中心とした湾岸エリアに数多く展開し、大型の商業施設にもいくつかの店舗が入っているが、流行を追ったり、売り上げが低いとすぐに撤退して別の場所に新しい店舗を構える…といったフットワークが軽い特徴もあるグループだ。

 

そんなレストランに入店し一通りメニューに目を通す。ディスプレイ通り、私が働いていた頃とさほど変わりないメニューだった。当時、客に勧めていたメニューを注文し、ドリンクの提供を待つ。店内は平日の夜ということもあり、空いていたのでドリンクの提供も早かった。

提供が終わった後、店長らしき人物が「あの…何処かで一緒に働いていませんでしたか?」と声をかけてきたのだ!  実は入店の際、私は何人かの顔を知っているスタッフがいたのを認識していた。しかし、実際にそのスタッフと働いていた期間は一ヶ月に満たない。辞める前のほんの少しだけだった。大して仲も良くなかったし、十年以上前のことだ。加齢による顔や体型の変化もあるだろう。だが、その人物は勇気を持って話しかけてきてくれた。

冒頭にも書いたが、大人になるとなんとなく顔見知りはスルーしがちだ。共通の話題もないし、仲も良くない。会話も続かないかもしれない。様々な理由があって、面倒だからスルーする。

 

名店が数多く揃う横浜。正直、この店は味としては想像がつく範疇の味だ。しかし、接客の面では名店かもしれない。ただ久しぶりの挨拶をされただけで早計かもしれないが、少なくともおれにはそう感じることが出来た。

コロナ禍でどこの飲食店も厳しい状況にある。

少しでもこの店が流行ることを祈りたい。

 

 

 

 

コロナ渦の軽井沢

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再び軽井沢へ。

約一年ぶり。もう4回目か?

 

いつもと違うのはやはりコロナ渦であるということ。そして観光のピークを過ぎた9月であるということ。しかしこの後はシルバーウィークが控えている。人出はどうなるか。

店舗もテナント募集がちらほら…その一方で今年の夏にオープンされたばかりの店も。

頑張れ軽井沢!

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失われた建物 エクセルシオールカフェ横浜中華街店

全国展開しているドトールグループである、エクセルシオールカフェ。今回はエクセルシオールカフェの横浜中華街店の話。

 

と言っても正直、文言にするほどエクセルシオールカフェに対して思い入れはない。このカフェにではなく、この店舗が入居していたロケーションに私は思い入れがある。中華街東門にほど近い、一階と二階の二層の店舗だった。

かつて私は中華街で働いていた。ブラックな会社ではあったが、働き始めの頃は一時間は休憩をしっかり取ることができ、ここに毎日の様に通っていたのだ。当時はエクセルシオールカフェではなく、スターバックスであった。

夏の暑い日にホールと厨房を行き来し、汗をかいた後のクーラーが効いた店舗と冷たく冷えたアイスコーヒーは格別だった。スターバックスは安定の居心地の良さで、スタンダードジャズと人々の会話がBGMになっていて、休憩にふさわしい、とても素敵な空間を作り上げていた。

毎回窓側の決まった席に座り、暫しの時間を楽しむ…人々の絶え間ない往来や徐々に出来上がってくる向かいのマンションをぼーっと眺めながら身体をクールダウンさせるのだ。

中華街で働いていた時は、とても厳しく、あの頃に戻りたくはないが懐かしく思い出す分には心地良く、辞めた後も何度かスターバックスに足を運び、コーヒーを嗜んだ。

たしかその店舗の十周年記念だったか。たまたま久々に利用すると偶然にもその日、周年記念のイベントにぶつかったのだ。

マイルスディビスが流れる店内で、新作のコーヒーやケーキを少し楽しんだ後は、縁があるなあなんて思いに浸っていた。

それから間も無くして、このスターバックスは閉店してしまった。おそらく、一年も持たずしてだ。ああ、もうあの窓から見える風景だったり、のんびりとした空気は味わえないなと思ったら居抜きでエクセルシオールカフェが出来たのだった。

喜んで行ったのも束の間。コロナの影響だと思うがあっという間に閉店してしまった。

 

失われた建物というタイトルでいくつか書いてきたが、全ての建物や店舗に思い入れがある。嫌な思い出や辛い思い出も、時間が経てばストレス無く振り返ることが出来、自分の立ち位置を再確認出来るのだ。

またあの窓から景色を見ながら、コーヒーを飲みたいな。

 

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失われた建物 リゾーピア箱根 閉館

悪い予感は的中した。

 

以前の記事でリゾーピア箱根について書いた。去年の11月に一時クローズするとのことだった。台風の影響と老朽化が原因で暫く、大規模なメンテナンスをすると発表されていた。しかし、具体的なことが記されていなかったので、おれは勝手にこのまま、もしかしたら閉まってしまうのでは?と予想していた。台風の影響で未だに登山鉄道が不通なこと、そして極め付けはコロナウィルスの影響で休業による客足の伸びに不安があるためだ。

そして先日、営業終了のお知らせときた。

ショックだ。とても大きなショックだ。

 

おれが初めて社会人として、足を踏み入れた場所。そのきっかけを与えてくれた場所でもある。家族との思い出、社会人としての思い出、楽しい思い出と辛い思い出。それはリゾーピア箱根がもたらしてくれたものだ。

リゾート会員権の先駆けとも言える大型の建屋。強羅の高台に位置し、静かな山々に囲まれたリゾートにふさわしい場所だった。当初はテニスコートや珍しいスカッシュのコートもあった。所々古い箇所もあったが、2013年には大浴場とB館の一部客室をリニューアルし、新たな客を呼び寄せた。ビジターも宿泊することが出来たので、三世代でゆっくり寛げるリゾートとして家族連れにも人気が高かった。

築三十年以上だからであろうか。館内は独特の香りがした。嫌な匂いではなく、むしろ好きな匂い。早雲山が近いので硫黄の香りはするのだが、混ざってリネンの香りやシャンプーの香り、料理の香り等が混ざり合って『リゾーピア箱根の香り』を形成していた。

 

匂いは思い出と直結すると以前も書いたが、もう2度と嗅ぐことが出来ない。

キラキラと光るプール。

色々な音が混ざり合ったゲームコーナー。

活気で満ちたレストラン。

これらも2度と見ることも聞くことも出来ない。

 

 

ありがとうリゾーピア箱根。

さようなら。

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中華街

コロナウィルスが蔓延している現在、中華街はどうなっているかと、あえて行ってみた。

客数はなんとなく普段の平日より少ないと言った感じではあるが、目立つのは休業している店舗の数だ。大通りに面してる大型の店舗、小径の小さな店舗、関わらず休業の店が多かった。それでもやっぱり中華街。ある程度は賑わってるのは流石だ。

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H珍樓のバックヤード

前回の記事、思いのほか反響があった。備忘録のため、自分勝手に無責任に考えたことや感じたことを垂れ流しているが、それでもなんらかのリアクションや閲覧数が増えるのは嬉しいものだ。

リラックス本牧店はちなみに居抜きで、同じリラクゼーションの店が入ったとのこと。はてさてどうなることやら……

 

上記のように味をしめた私は、就労期間が長かったHのバックヤード、すなわち裏側を記そうと思う。いつかの記事でも書いたが、この会社、店舗は中華街の老舗の名店との評判とは異なり酷いという言葉に尽きる。閉ざされた空間で、独特の社会やルールが生まれ、間違ったことでも正義になる。それがここ、Hだ。

以前も記したが、とにかくここは拘束時間が長い。長すぎる。私は11時からの出勤だったが、支度等があったため、10時過ぎには出社していた。休憩は無く、ぶっ続けで午前3時までだ。嘘ではない。これを記したタイムカードの写真も撮ったことがある。これがほぼ毎日。休みは週休1日だ。これをブラックと呼ばずして何と言うのか。上司や先輩が帰らないと、帰れない空気の典型的なブラック。ちなみに私の上司は狂ってしまって大した給料でもない上に、通勤距離が極めて近いのにタクシーを行き帰りで使用していた。

Hはビル自体がレストランになっており、用途によって案内されるフロアが異なる巨大な飲食店だ。いわゆる大箱であり、キャパシティに対して従業員が少なすぎるのがブラックになる原因の一つだ。

行列ができる店。といえば響きが良いが、これはキャパシティに対してのオーバーフローで、店に入れたからといってスムーズにサービスが提供されるものではない。

いつかの正月。近年は元旦ぐらいサービス業も休もうというはたらきがあるが、私がいた頃は元旦からバリバリ営業していた。開店間もなく満席になり、ここからが地獄の始まりだった。

料理がまず出来上がらない。出来上がっても提供出来るスタッフがいない。大口の取り分けにより、他のテーブルへのサービスが渋滞する。

年に一度の正月は一族が集まり、みんなで良いところで食事をしようということなのだろう。人数の多いテーブルが多いのだ。折角のお正月で良い食事をしようとしていたら料理が全く出てこない…ドリンクすら時間がかかるのだ。これにおいては今でも非常に申し訳なく思っている。クレームがクレームを呼び、従業員が疲弊する。アルバイトは途中で平気でいなくなるし、正社員も身体と精神が摩耗する。申し訳ないが、私は心の底からいらっしゃいませと言える気持ちを失っていた。正月にHに行くことはオススメできない。

私が在職中に、何人ものスタッフが鬱病になった。日々の過酷な労働が鬱病の原因だが、紐解くとある男が大きな要因だったと私は考察する。いつかの記事で書いたOという男だ。

彼が来てからHは大きく変わった。細かい数字はわからないが、売上は上昇したであろう。しかし、圧倒的に従業員の働きやすさは失われていった。それまでなかった罵詈雑言や暴力は当たり前。パワハラの嵐。極め付けはアルバイトの愛人を作ったことにより、そのアルバイト女性が副支配人レベルの権限を持つ異常さ。うんざりした者はHを離れて行ったが、過酷な労働環境の為、転職をする体力が残っていないものは、居続けた。

私もHを本気で訴えてやろうかと思ったが、やはり体力がなかった。残ったギリギリの体力で転職出来て本当に良かったと思う。

 

 

あれから十数年。

もうOはいないそうだ。平和なHは帰ってきたのだろうか。中華街の雰囲気は好きだ。月並みだが、異国情緒がある。かつてはちょっとミステリアスな空気もあって薄暗い路地裏にはちょっと怖かったかりした。今はギラギラの電飾の食べ放題やタピオカの店ばかりだが、小路に入れば美味い店もたくさんある。Hも本来は歴史ある素敵なレストランだったに違いない。久々にかつての職場の懐かしい顔を見に行こうか。

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