39歳の備忘録的日記

39歳の男の思ったこと感じたこと

H珍樓のバックヤード

前回の記事、思いのほか反響があった。備忘録のため、自分勝手に無責任に考えたことや感じたことを垂れ流しているが、それでもなんらかのリアクションや閲覧数が増えるのは嬉しいものだ。

リラックス本牧店はちなみに居抜きで、同じリラクゼーションの店が入ったとのこと。はてさてどうなることやら……

 

上記のように味をしめた私は、就労期間が長かったHのバックヤード、すなわち裏側を記そうと思う。いつかの記事でも書いたが、この会社、店舗は中華街の老舗の名店との評判とは異なり酷いという言葉に尽きる。閉ざされた空間で、独特の社会やルールが生まれ、間違ったことでも正義になる。それがここ、Hだ。

以前も記したが、とにかくここは拘束時間が長い。長すぎる。私は11時からの出勤だったが、支度等があったため、10時過ぎには出社していた。休憩は無く、ぶっ続けで午前3時までだ。嘘ではない。これを記したタイムカードの写真も撮ったことがある。これがほぼ毎日。休みは週休1日だ。これをブラックと呼ばずして何と言うのか。上司や先輩が帰らないと、帰れない空気の典型的なブラック。ちなみに私の上司は狂ってしまって大した給料でもない上に、通勤距離が極めて近いのにタクシーを行き帰りで使用していた。

Hはビル自体がレストランになっており、用途によって案内されるフロアが異なる巨大な飲食店だ。いわゆる大箱であり、キャパシティに対して従業員が少なすぎるのがブラックになる原因の一つだ。

行列ができる店。といえば響きが良いが、これはキャパシティに対してのオーバーフローで、店に入れたからといってスムーズにサービスが提供されるものではない。

いつかの正月。近年は元旦ぐらいサービス業も休もうというはたらきがあるが、私がいた頃は元旦からバリバリ営業していた。開店間もなく満席になり、ここからが地獄の始まりだった。

料理がまず出来上がらない。出来上がっても提供出来るスタッフがいない。大口の取り分けにより、他のテーブルへのサービスが渋滞する。

年に一度の正月は一族が集まり、みんなで良いところで食事をしようということなのだろう。人数の多いテーブルが多いのだ。折角のお正月で良い食事をしようとしていたら料理が全く出てこない…ドリンクすら時間がかかるのだ。これにおいては今でも非常に申し訳なく思っている。クレームがクレームを呼び、従業員が疲弊する。アルバイトは途中で平気でいなくなるし、正社員も身体と精神が摩耗する。申し訳ないが、私は心の底からいらっしゃいませと言える気持ちを失っていた。正月にHに行くことはオススメできない。

私が在職中に、何人ものスタッフが鬱病になった。日々の過酷な労働が鬱病の原因だが、紐解くとある男が大きな要因だったと私は考察する。いつかの記事で書いたOという男だ。

彼が来てからHは大きく変わった。細かい数字はわからないが、売上は上昇したであろう。しかし、圧倒的に従業員の働きやすさは失われていった。それまでなかった罵詈雑言や暴力は当たり前。パワハラの嵐。極め付けはアルバイトの愛人を作ったことにより、そのアルバイト女性が副支配人レベルの権限を持つ異常さ。うんざりした者はHを離れて行ったが、過酷な労働環境の為、転職をする体力が残っていないものは、居続けた。

私もHを本気で訴えてやろうかと思ったが、やはり体力がなかった。残ったギリギリの体力で転職出来て本当に良かったと思う。

 

 

あれから十数年。

もうOはいないそうだ。平和なHは帰ってきたのだろうか。中華街の雰囲気は好きだ。月並みだが、異国情緒がある。かつてはちょっとミステリアスな空気もあって薄暗い路地裏にはちょっと怖かったかりした。今はギラギラの電飾の食べ放題やタピオカの店ばかりだが、小路に入れば美味い店もたくさんある。Hも本来は歴史ある素敵なレストランだったに違いない。久々にかつての職場の懐かしい顔を見に行こうか。

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