39歳の備忘録的日記

39歳の男の思ったこと感じたこと

聘珍樓 閉店  さらば聘珍樓横濱本店

細々とやっている、このブログ。

完全に趣味でやっていて不定期に書いている。まさに気まぐれなブログだ。自分の気になることや考えたことをただただ垂れ流すように書いている。閲覧者は日に数十人だ。私自身、ブログを書いていることを周りの人間に言っていないので、ワード検索などをして、辿り着いた人がなんとなく見ているということだろう。今回も閉店する店舗ということで失われていくシリーズにくくろうかと考えたが、なんとなく違うなと思い、タイトルも少し変えてある。

さて、以前書いたブログで伏せ字にしていたHという店舗はずばり、聘珍樓本店のことだ。

知る人ぞ知る、横浜中華街が誇る屈指の名店、聘珍樓。その歴史は古く、日本最古と謳われる程だ。

私がここで働き始めたのは2000年代初め。当時はミレニアムフィーバーも落ち着きつつも、中華街も現在の様な食べ放題も少なく、まだ中華料理がしっかり味わえるを売りにし、一時は年間入場者数がディズニーリゾートより多かったのだ。そしてみなとみらい 線の開通というまさに追い風状態だった。

以前のブログでも記したが、当時はまだ職場環境も整っており、忙しいながらも充実した日々を過ごしていた。聘珍樓という看板を背負っているという誇りとやりがい、クオリティの高い料理とホスピタリティ。おそらく、当時の従業員は士気も高く名店を一緒に作り上げた自負がある。忙しくも充実した日々は生活に張りを与えた。七階のフロアは特別室と呼ばれ、個室に庭がついた豪勢な作りだったのだが、ゲストが帰った後、私はその庭に立ち、夜風を浴びながら眼下の、中華街特有の香りに包まれながら、まだ賑わいのある中華街を見たり、向こうのうっすらと見える山手の丘を見るのが好きだった。明日も頑張るぞ、とリフレッシュ出来た。こんなことが出来るのも従業員の特典だった。

 

これも先に記したが、ある男が介入することで環境が大きく変わってしまった。その件に於いては。前述のブログを読んで欲しい。兎に角、とんでもないブラック企業に成り下がってしまった。職場環境の悪化は勿論、まさに暴君に相応しい振る舞いでスタッフの士気は著しく低下した。帰りの時刻は夜中の3時を回ることも珍しくなく、もうその頃には七階の庭などどうでもよくなり、一分でも早く床に着きたかった。

その男は悪事が晒され、会社を追われるように辞めてしまったが、残した傷痕は大きく、さらに昨今の中華街のレストランの変化やコロナの影響もあって、クローズすることになった。

一旦クローズとあるが、おそらくあの場所に復活することはもうないであろう。暫くは空き店舗になるか、大規模な改修を経て違うテナントが入るであろう。他の移転先も現段階では何も触れられていない。つまりは未定、何も決まっていないのだ。そしてあの場所は、中華街の一等地、借地でとてつもなく家賃が高い。かつてあった新館を崩した時から、少しずつ凋落し、規模を縮小した現在のような売上ではとても家賃はペイ出来ないはずだ。かつては週末の売上などは4桁を超えるドル箱店舗であったが、やはり環境の変化から来るこの大きな波には耐えられなかった。

 

先日、聘珍樓で食事をしてきた。

苦楽を共にしたかつての仲間は温かく私を出迎えてくれた。私が聘珍樓で頑張れたのは、この仲間たちがいたからだ。私が働いていたフロアは既に物置のような状態になっていたが、そこの空気は変わっていなかった。照明、壁、小さな傷ですらそれを見れば、当時を思い出す。数々の思い出が染み付いたあの建物が無くなってしまうのは、とてもとても寂しい。

5/15に閉店してしまうらしいが、予約で埋まっているとのこと。ただ、キャンセルはつきものだ。ダメ元で電話してみるのもいいだろう。行くべき店なのだ聘珍樓は。

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さようなら聘珍樓